「よりによって正月元日の夕刻。
家族団らんのひとときを襲った震度7の地震。
寒さに震え、揺れる大地に怯えながら身を寄せ合う人々。
この地震は240人を超える尊い命を奪い、今もなお1万人以上が避難所での生活を余儀なくされています。」
これは2年前、私が2度目の一般質問に立った際、冒頭で述べた言葉です。
お見舞いの言葉を申し上げた後、次のように続けました。
「今回の地震で特に大きな被害を受けたのは、能登半島北部の珠洲市、輪島市、能登町、穴水町の4つの自治体です。人口はおおむね1~2万人、高齢化率は約50%。さらに、この10年ほどで人口がおよそ2割減少している過疎地域であり、私の暮らす竹田市とも重なる姿を持つ自治体です。」
「私自身、以前地元の市役所で働いていた際、平成2年の豊肥水害、平成24年の九州北部豪雨、平成28年の熊本・大分地震など、多くの自然災害への対応に行政職員として携わってきました。」
「地震発生の報を知ってから、避難所は無事に開設できただろうか。被害状況は把握できているだろうか。報道対応はどうか。ボランティアや支援の受け入れ準備は整っているだろうか。
防災危機管理に携わってきた者の目線で、現地の状況を案じながら見守っていました。」
この後、災害に備えた関係機関の連携強化について質問し、知事の答弁を受けて次の要望を行いました。
「災害が発生した後も、それまで暮らしてきた地域の近く、せめて大分県内で生活を続けることができるよう、県や市町村、関係機関のより一層の連携が必要です。引き続き検討を進めていただきますようお願いいたします。」
今回、防災減災・県土強靱化対策特別委員会の一員として、奥能登の地を訪れました。
焼失した朝市通り。
4メートル隆起した海岸線。
至るところに建てられた応急仮設住宅。
そして、動き始めていた出張朝市。
新しく生まれていたマルシェ(商店や交流の場)。
2年という歳月は、あまりにも早く、そして長い。
それでも、能登の人々は前を向いて歩み続けていました。
地域を守ろうとする営みは、確かに続いています。
あの日の問いに、現地は今も向き合っていました。
私自身もまた、防災・減災への取り組みを一歩ずつ進めていかなければならない――
その思いを強くした3日間となりました。





