今、竹田市を覆っている漠然とした将来への不安。
人口が減り、子供の数が減り、高齢者が増えて、働き手が足りない。
そして、将来もこの町で暮らしていけるのかという不安。
もっと早く手を打っていれば・・・、もう手遅れだ・・・、という諦めの言葉。
本当にそうでしょうか。
確かに、この数10年の間、この町は人口が減り、衰退の一途を辿ってきました。
しかし、諦めるにはまだ早い、諦めるにはもったいない、諦めてしまえば終わってしまいます。
人口が減っても、住んでいる人々が豊かで幸せを感じられるならば、何が悪いのでしょう。
目線を上げるべきです、俯いていてはだめです。立ち止まってしまったらだめなのです。
この町は、このまま消えてなくなる街では決してありません。
「もう手遅れだ」と、今、この町に生まれてきた子供たちの前で言えますか。
今、生まれてきたばかりの赤ちゃんを両腕に抱きかかえる親の前で、あなたはそう言うことができるのですか。
私たちは気づくべきです。
今、この町が抱えている問題は決して竹田市だけのものではないということに。
竹田市が今抱えている問題は、近い将来、全国の町が抱える問題になるということに。
そして、竹田市が抱えている問題は、この先、より深刻な問題になるということに。
しかし、皆で知恵を出し、力を合わせれば、この町は、必ずこの問題を克服できるということを。
令和5年。戦後78年。昭和で言えば昭和98年。
これまでの時代、この町で生きてきた人たちも必死で頑張ってきたことでしょう。
決して楽な道のりではなかったはずです。「昔はよかった」なんてことは一面を見ているに過ぎないのです。
祖父母や親の世代も苦しい時代を乗り越えてきたはずです。
棚田や水路や高原や城下町などあちこちに、先人たちが歯を食いしばって生きてきた証が目に留まります。
だからこそ、私たちも私たちの上の世代と同様に、必死でこの困難に立ち向かう責任があると思っています。
そのようなことを考え、県議会議員になることを一人で決意しました。
次第に一人、また一人と少しずつ私の思いに共感してくれる仲間が増えました。
そして今、運を味方につけて、県議会議員の議席を4年間、預かる立場となりました。
これからは県下にいる同じ思いを持つ仲間を増やし、仲間とともに力を尽くします。
住み慣れた町で、暮らし続けることができるよう、あらゆる方向から議論し、課題を解決していきます。
「過去と他人は変えられないが、未来と自分は変えられる」といいます。
一緒に、竹田市の未来を変えていきましょう!
令和5年4月30日
大分県議会議員 宮成公一郎